27.私がライカを買う理由パート2

     
 以前「私がライカを買う理由」と題してなぜライカなのかについて書いたのだが、一番の理由は写真を撮っていて楽しいからと言うようなことを書きました。それからずっと気になっていることがあります。それは、なぜ楽しいのでしょうか?あるいは何を楽しいと感じているのでしょうか?
 ライカと言ってもバルナックやR型もあります。しかし35mmカメラはライカのM型以外のカメラには余り興味が湧きません。単に好みと言ってしまえばそれまでなのですが幾多のカメラの中でなぜM型ライカなのでしょう。
     
ライカ以前
 高級カメラ=一眼レフと思っていました。世界で一番のカメラといえば日本のニコンとキヤノンのことでした。質実剛健で報道に強いニコンと先進技術でファッショナブル(もう死語?)なキヤノンです。広告界やクリエーティブな写真家はこぞってキヤノンを使っていた時代です。当時これはキヤノンの販売戦略だったのですが当時の若者の一人としてはそんなことを知る由も無く、ニコンはダサいキヤノンはカッコイイと完全に洗脳されていた訳です。キヤノンにしてもニコンにしても当時は高級ブランドカメラな訳で父親のコニカの一眼レフを持ち出して使っている身にとってどちらも高嶺の花でした。いつかはキヤノンと思っていたライカの「ラ」の字も知らなかった平和な時代だった。
 1971年にキヤノンはF−1を発売しその10年後の1981年にNewF−1を発売した。F−1はニコンのF2を迎え撃つ為にNewF−1は同じくニコンのF3に対抗するモデルです。ニコンのFに対してキヤノンのF−1というモデル名の付け方からして正面から戦いを挑んだのでした。日本のカメラが世界のトップブランドとして鎬を削っていた、最も日本の写真機業界が活況を呈していた時代でした。
 私はというと1986年に待望のキヤノンNewF−1が、1988年AFが搭載されたEOS620と「キヤノンが一番」路線をひた走りに走っていた。この頃にはライカの「ラ」の字くらいは知っていたが多くの若者が抱くイメージ通り「古い」「不便で高い」「使っている奴は写真のことなど判らない金満家のジジイのカメラ」であって手に入れたいなどとは少しも考えなかった。最新のカメラ、日本のカメラがいいカメラだと信じていた時代だった。ただレンズに関してはツァイスに憧れがあった。
 今でもライカのイメージは私が若かった頃に抱いていたイメージと少しも変わらなく「古い」「不便で高い」「使っている奴は写真のことなど判らない金満家のジジイのカメラ」と思っている人が多くいるようです。決して若者特有の感じ方だけではなくかなり年配の方でも同様のイメージを持っているようです。このイメージは間違っているとは言えないまでも決してそれだけではないのです。
     
ブランド信仰
 あるある確かにありますよ。ハッセルブラッド、ローライ。車で言えばポルシェ、ロータス、フェラーリと同様に、しかしこのブランドという勲章を勝ち得る為の各企業の努力というものは生易しいことではないことは想像がつきます。よりよいものを提供し続ける力がブランドとしての証であるしそれを成し得たからこそブランド名に憧れる気持ちが生まれるのでしょう。ただし昔はよかったんだけれどもという場合もありますが。ポルシェ、ロータス、フェラーリは一生手に入れることが出来そうにありませんがハッセルブラッド、ローライそしてライカは中古にしろ手が届くようになったことは歓迎すべきことです。性能がすべてではないですから憧れであった物を使うのも楽しみの一つだと思います。
     
ライカを使う写真家
 しばらく写真なんて出来るような状態じゃ無い時期があって、毎日を無為に過ごしていた頃、お金が掛からないので毎日図書館で過ごしていました。そこで手にした一冊の写真集が「シカゴ・シカゴ」石元泰博でした。日本人が撮ったとは思えない写真でした。(後で氏のプロフィールを見て納得しました。)それからというもの時間だけはたっぷりあったので図書館の写真集を片っ端から借り出せるものは借り、持ち出し禁止の写真集はその場で毎日のように見ていました。好きだった写真をもう一度やってみようと思った。その時、眼にした写真家で気になったアンドレ・ケルテス、ロバート・フランク、エド・ヴァン・デル・エルスケン、リー・フリードランダー、アンリ・カルティエ・ブレッソン、セバスチャン・サルガド、土門拳、木村伊兵衛に共通なカメラがライカだった。時代の違いもあるのでライカと言ってもそれぞれモデルが違うのだが全くそのような知識は無く、ただライカが写真を始めさせてくれる力になってくれそうな気がした。調べてみるとM型というモデルが一番自分に合っていそうだったが中古店の店先を覗いてはその金額の高さに溜息をつくばかりだった。しかし写真の再スタートはどうしてもライカで始めたかった。その後ライカを手に入れるまでには2年掛かった。石元泰彦、リー・フリードランダーのM2だ。
 世界中の著名な写真家はライカを使っている(いた。)という大いなる誤解で写真生活をスタートした。冷静に考えられるようになって気が付いたのだが彼らが活躍していた時代に35mmカメラで実用になるカメラというとそれほど多くの種類が無かったのだった。時代が経過して僅かにニコンが認め始められた時代だった。しかしその後も他のカメラを使ったりしてはいるのだろうが石元泰彦はM3、M4と、リー・フリードランダーやセバスチャン・サルガドもM4、M4-P、M6などとその時代時代のライカを使い続けているのにはやはりそれぞれの撮影スタイルにライカが合っている証拠なのでしょう。
 最近の写真家の内田ユキオ、中藤毅彦たちががライカを使うのは当時とは別の理由からのようだ。60年代、70年代生まれの彼らであればもっと便利なカメラがたくさんある。それを証明するように仕事カメラとしては最新のカメラを使っている。作品(この言葉が適当かどうか?)を撮るときにはライカを使う。彼らだけではなくこの様な使い分けをする写真家は多い。癒される、リズムが生理に合っていると精神的な部分で気に入っていたりレンジファインダーの視野の曖昧さや周りが見渡せること、ブラックアウトしないなど機構的な部分で気に入っていたりと理由は色々だが、ただ古いだけではないのがライカなのだ。
 
(敬称は略させていただきました。)
     
レンズの味
 作家の赤瀬川原平氏がレンズのコーティングの色があまりにも美味しそうだったのでペロリと舐めたという有名な話があります。もちろんその味ではなく描写性能のことですが、描写を良い方にとらえる時には「レンズの味」と表現され悪く言うときは「レンズのクセ」と使われることが多いです。本来は同じことでそのレンズの特性のことです。科学的には球面収差や色収差の取りきれない残存収差が味であったりクセであったりするらしいがそれこそ味も素っ気も無い話になってしまいますね。写真はプリントされたときにどの様に見えるかが最も大事なことだと思います。光が滲んだり、ピントが中央にしか無く周りがボケていようともそのことがその写真を魅力的に見せているとしたらそれは「レンズの瑕疵」ではなく「レンズの味」と言えるでしょう。しかし望んでいない結果に写ったとしたら「レンズの瑕疵」になってしまいます。こういったレンズのクセは何もライカのレンズ特有のことではなくすべてのレンズに言えることなのですが、ことさらレンズのクセを「レンズの味」などと言っているライカファンはレンズのクセを楽しむことが出来る大人なのかもしれません。あるいは子供っぽいのかも?
 最近コシナから収差を意図的に残したレンズが発売されましたがどの様な写りをするのか興味があります。レンズの特性と描写の解析が進むとズミクロン8枚玉の製造番号○○番と同じ描写のレンズや最初に作られたアナスチグマットと同じ描写のレンズなどが製作可能かもしれませんね。面白そうだけれども私はやっぱりオリジナルを買うでしょうね。オリジナルには写り以外に物としての存在感があります。そんな存在感や時代の空気と言ったものも含め「レンズの味」と言うのかもしれません。
     
言い訳が出来ないカメラ
 ライカ(M型)は古いカメラだ。作られた時期が古いということだけではない。最新のM7にしても古いのだ。考え方が古いのだカメラは何もしてくれない。古さが決して悪いことではない。この何もしてくれないのがいいのだ。勝手に露出を合わせたりピントを合わせたりすることが便利でいいことという考えの反対の極にある。AEやAFが決して悪いと言っているのではない。それが必要な時や必要な人がいるのだから。ただAEやAFカメラはこちらが思った場所の露出を計ったりピントを合わせたりはしない。AEロックやAFロックを使ってやれば思ったところに合わせられるという人もいるだろうがその手間で自分で合わせれば済むことだ。
 ライカだけではなく古いカメラのほとんどは露出を合わせるのもピントを送るのもシャッタースピードを決めることもすべて自分でしなくてはなりません。フィルムをセットして裏ブタを閉じればフィルムが1枚目まで給装され後はシャッターボタンを押すだけという風にはなりません。それを面倒なことと考えるのなら最新のカメラを使うことをお勧めします。露出が合わなくてもそれはカメラの露出アルゴリズムのせい、ピントが来なくてもそれはカメラのAF精度のせいです。あなたは少しも悪くはありません。カタログにも「あなたは見てシャッターを押すだけ」ですばらしい写真が撮れるって書いてあるでしょ。しかし1枚1枚手で巻き上げて自分が考える露出値に合わせ、自分が考えるシャッタースピードを選択し、どこにピントを持ってくるか自分で決めそしてシャッターを切る。カメラは何もしてくれません。写真の出来不出来はすべて自分自身の責任になるカメラを求めるのならそれはライカです。
     
ライカの引き伸ばし機
 「ライカのカメラで写真を撮るなら当然、引き伸ばし機もライカを使わなければならない。」とよく言われますが、この話は半分本当で半分嘘です。嘘というのが言い過ぎなら、当てはまらないといい直してもいい。
  フォコマートで引き伸ばしたプリントは階調が豊かだということは事実だがフォコターが柔らかな描写をするというのは当てはまらない。撮影レンズのエルマーも同様なことが言われるがどちらも硬い描写だ。ニッコールの方がまだ柔らかい。 ただコントラストが変わるエッジ部分が滑らかに変化するので硬さを感じさせないようだ。
  コンデンサーレンズで直接ネガを押さえている構造もネガの平面を保つ理にかなったものです。すべてが単純で明快です。
  フォコマートのランプが暗いこともプリントの違いになっているようです。最も最近(と言ってもフォコマートはみんな古いのですが)は100V150Wのような明るい電球の使用が多いのだが是非とも100V75Wの暗い電球で試して下さい。違いが判ると思います。最も好みというものがありますのでどちらが良いというものではありません。私が暗いランプのプリントが好きだと言うだけです。
  素人の推測ですがキャリエ効果が起きるときに違いがあるのではないのかと思っています。強い光が短時間と弱い光が長時間では総エネルギーとしては同じですがネガの銀粒子が光を拡散させる時に強い光と弱い光では違いがあるのではないでしょうか。また印画紙側から見ても強い光でプリントされるのと弱い光でプリントされることは違うように思います。あくまでも自分でプリントした時にそのように感じると言うことで専門家の意見をお聞きしたいところです。
  最後に最も「ライカのカメラで写真を撮るなら当然、引き伸ばし機もライカを使わなければならない。」と言うことがあてはまらないのはどんなカメラで撮影されようと、どんな引き伸ばし機で引き伸ばされた写真でもいい写真はいい写真という事実です。
  しかし自家プリントをする者が一度は使ってみたいと思うこともまた事実です。
     
 「なぜライカなのか?」と言う答えにはあまりなっていませんね。性能や特徴をいくら並べても仕方が無いのです。ファインダーを覗いてシャッターを切る瞬間が気持ちいいからに他ならないのです。やっぱり好きだから・・・。