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13.LEICA M5はM型の王様 |
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| M5は生産期間1971年〜1975年と4年間という短命に終わった機種です。総生産台数は約3万3千台でブラッククローム約23,000台シルバークローム約10,000台という最も生産台数の少ないM型です。 |
LEICA M5 Silver chrome |
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1.会社の全精力を傾けて作り本当に会社が傾いたのがエライ。 |
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| M5の発売された1971年の翌年ライツ社は日本のミノルタと技術提携した。ライツ社は一眼レフの開発に取り組んではいたものの日本製の一眼レフの攻勢に押されていた上、人件費の高騰で国際競争力の低下を招いていた。日本の安くて高性能なカメラの製作ノウハウの習得を狙った物と思われる。M5は作れば作るほど売れば売るほど赤字が嵩むカメラでした。そうしてドイツ本国での製造をあきらめレンズの組み立てだけでなく本体の組み立てもカナダに移転した。ついに1974年スイスの顕微鏡メーカーのWild社の傘下に入る。レンジファインダーのカメラもコストの掛かるM5をあきらめM4の発展型(ローコスト化)のM4−2の発売を始める。新製品を開発をする力が無かったのでM4の金型やジグを使ったのでしょう。 |
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2.やっぱり露出計を内蔵したのがエライ。 |
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M5の最大の特徴はTTL露出計を内蔵したことです。ライカには露出計は必要無いという意見も多いことも事実ですが、今も昔も写真を撮る時に難しいことはと言う質問で一番多い答えは露出の決定です。それまでは単体露出計を持ち歩くか勘による撮影でしたが、フィルムもモノクロからカラーへ移っていく時期でもあり、よりきめ細かな露出値が必要とされたのでしょう。当時日本のメーカーもTTL露出計を内蔵したカメラを販売していたし時代の趨勢だったのでしょうがなんといってもユニークなのはCdsの付いた腕木がレンズの光軸上に立ち上がり露出を計りレリーズ直前に腕木がボディ内に倒れ込むという複雑な機構になっています。当時、TTL測光に関して日本の各メーカーは出願中も含め多くの特許を取得していたので他社の特許に触れない方法を取った結果が腕木を用いるという複雑な機構になったのでしょう。日本の特許のおかげで我々は今こんなに面白い機構を持ったカメラを手に入れることが出来ます。 |
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3.R型と大きさを合わせたと言うが、本当は発展させるスペースを確保していたのがエライ。 |
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発売当初は「大きい」「重い」と不評だったのですが実際は幅11mm、高さ5.5mm、奥行き0.5mm大きくなり重さも80g重くなっただけでした。角張ったデザインのせいでもっと大きく感じたのでしょう。ここからは私見なのですが、露出計を内蔵するだけでこの大きさが必要だったのでしょうか?勿論電気回路も今のようにマイコンを搭載したりフレキシビリティのある基板を使用することも無かったでしょうからかなりのスペースを必要としたのでしょうがM5の電気パーツを見てみるとこれほどのスペースは必要ないと思います。ライカ社としては露出計を内蔵すること以外に自動露出(AE化)等に進化させる予定が有ったのではないのでしょうか。M5が好評に迎えられていたら今のM7のデザインも変わっていたのかもしれませんね。 |
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LEICA M5 Black chrome |
M5の内部メカニズムはM型の完成型と言われるM4と同等(パーツ形状は細部に亘って変更されていますが)です。ファインダーもM4と同様に35mmと135mmが同居しますが50mm、90mmは単独で表示されますのでM6のような煩雑さは有りません。最近のM用レンズの大型化に伴ってM5のボディの大きさがマイナス要因ではなく持ちやすさ、バランスのよさとして使いやすいM型と評価されるようになってきました。中古価格も以前のような高値ではなく10万円台後半の価格で十分実用になる個体があります。今が買い頃ではないでしょうか? |
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